第3回 上野 八太郎さん

昭和15年、富山県氷見の漁村の網元の長男として生まれ育ったが、親の期待には程遠い息子に成長したようである。これはよくあることである。
父親が親戚から貰ってきた一台のバイオリンが事の発端である。弾いてみたくて何度も抱えてみたがバイオリンの方が大きい。ようやく辛うじて手が届いたのは小学5年の時だった。ひなびた漁村では分数楽器の存在などだれも知らなかったのである。バイオリンのレッスンは大学を卒業するまで続けたが、企業に入るときっぱりとやめて仕事に没頭した。企業を通して社会に貢献する模範青年に変身したのである。
ところが30半ばのあるときバイオリンを眺めていて、これを自分で作って演奏したらどんなに気持ちが良いだろう。一生に一度でいいからバイオリンを作ってみたいと思ってしまったのである。焼け木杭に火がついた。思い立ったが吉日、早速バイオリンを分解し部品をまねて作り始めた。有り合わせの材木を使い、誰の指導も受けず、とにかくバイオリンらしきものができた。案ずるより産むが易しである。ぶっこわれないようにと神に祈りながら弦を張っていく。
生れて初めて本気で祈った。そして恐る恐る弾いてみると、何とちゃんとバイオリンの音がしたのである。この時の感激は今も生々しく記憶に残っている。かあちゃんと結婚したときの感激や子供が生れたときの喜びの記憶はかなり薄らいでしまったが、この時の印象は今も鮮明である。

そして模範的企業戦士は一夜にして変身し、道楽者の人生に突入したのであった。一生に一度の初心を忘れ東京の楽器製作者の家へ押しかけ教えを請い、2挺め、3挺めと道楽に励んだ。ただの木コロと板きれに心を込めて削ると生命が宿り美しい音色を奏でる。その魔力の虜となり未だに目が覚めずにいる。
バイオリン属の楽器は周知のごとく単純な構造である。表板と裏板と横板でできていて、中は私の頭と同じ空洞である。怪しげな部分はf孔とバスバーと魂柱ぐらいで秘密らしきものは無さそうである。もしかしてこの俺でも一工夫すればすれば名器に近いものが作れるかもしれないと考えてしまった。しかし、作れど試せど名器は遠くになりにけり。
バイオリン作りは料理を作るのに似ている。同じ食材と調味料を使っても名人は美味しく早く作る。良い食材を使えばさらに美味しくなり、時間が経てばさらに味に深みが出てくる。バイオリンも銘酒の如く年数と共に円やかさ出てくるのかもしれない。バイオリンを作っていて毎年思うことがある。それは、あゝ昨年の俺は未熟者だったということである。作品にそれが現れたり進歩が見られたわけではない。
バイオリンの見方、製作時のものの考えかたに進歩と変化があったということである。
バイオリン製作研究会の先輩諸氏の皆様、今後とも宜しくご指導のほどお願い致します。

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